182.トワイヤン

トワイヤン / Toyen


概要


トワイヤン(1902年9月21日-1980年11月9日)チェコの画家、素描家、イラストレーター。本名はマリー・チェルミノーヴァ。1930年代から始まるチェコシュルレアリスムを支えた女性画家。陽気なエロティックを追求していたシュルレアリストとして知られる。シュティルスキーとほぼ行動しており、サド侯爵の影響を受けたシュティルスキーのエロティックな夢想をイメージ化していた。

略歴



1919年から1920年まで、トワイヤンはプラハの美術学校で短期間の絵画コースを履修する。1922年にユーゴスラビアでインドリッヒ・シュティルスキーと知り合う。1923年に、フランツ・カフカやヤロスラフク・ハシェクなども参加していたチェコの前衛芸術集団「デヴィェトスィル」に参加して、展示活動を行う。デヴィトシルの機関紙「レッド」はチェコの新しい世代の芸術家情報を発信していた。


1925年にパリに移動し、インドリッヒ・シュティルスキーとそこで暮らす。パリに住んでいる間、2人の初期の作品に見られたキュビスム的な絵画は次第に抽象に近いコンポジションヘと移行。1926年に最初の「人工主義」的コンポジションを展示。1927年にヴィヴィアン画廊で展覧会を開き、フィリップ・スーポーがトワイヤンの作品について「成熟した女たちの微笑のような気どりや、魅力や優しさには関心のない力と強さだ)」と述べている。1928年にプラハに戻る。


プラハに戻ったあと、急速にシュルレアリスムの方向へ向かうようになり、隠れたエロティシズムをはらんだイメージが現れるようになる。1932年にトワイヤンの挿絵を添えたシュティルスキーの『ジュスティーヌ』が出版。この本の内容は、サド侯爵に刺激を受けたシュティルスキーの散文的な内容で、良き女性であることに対する報いが、レイプ、恥辱、絶えることのない鞭打ちとなる女性に好まれない内容だった。


しかし、トワイヤンにとってはこの物語は権力に対して個人の自由を訴える一連の革命的な芸術行為だったという。トワイヤンはシュティルスキーの熱狂の対象を自分のものに取り入れ、彼女は自分の周りにエロティックなオブジェ、ポルノ写真、雑誌から切り抜いた体のいろいろな部分といったものを集めた。詩人アニー・ル・ブランは「トワイヤンは、70歳になっても、週に何度かポルノ映画を見に行くのをやめなかった」といっている。